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東京高等裁判所 昭和56年(う)1528号 判決 1982年12月09日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人布施誠司、同山岡義明、同山口博、同市原敏夫が連名で差し出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官末永秀夫が差し出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  訴訟手続の法令違反の主張(控訴趣意第三点及び第四点)について

所論は、要するに、(1)被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書は、総て被告人の自由意思による供述に基づいて作成されたものとはいえず、任意性を欠くか、若しくはこれに疑いのある違法な証拠であることは明白で、これを証拠として採用した原判決には憲法三八条一、二項、三一条、刑訴法一九八条二項、三一一条一項の違反があり(控訴趣意第三点)、(2)また北澤国男(以下、「北澤」という。)の司法警察員に対する各供述調書(三通)はいずれも刑訴法三二一条一項三号所定の特信状況を欠くものであるから、これを事実認定の基礎に置いた原判決には同条、ひいては憲法三一条違反があり(控訴趣意第四点)、右はいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない、というのである。

そこで、検討するのに、所論(1)の点については、被告人の司法警察員に対する昭和五四年一一月一六日付供述調書を見ると、そこに記載された取調べ罪名が外国為替及び外国貿易管理法(以下、単に「外為法」という。)違反となっているが、調書の内容は業務上横領に関連する事実をも含んでおり、川田裕人の証言によれば、同人は、被告人に対し外為法違反事件として取り調べる旨及び右事実について供述拒否権を告げたにとどまったことが認められるけれども、およそ右権利の告知は、被疑者に対し憲法上の自己負罪拒否の特権ないし刑訴法上の供述拒否権を理解させ、これを行使するうえで遺憾なからしめるための権利保障的意義を有するものであって、供述拒否権が各個の被疑事実ごとに存在するものではないから、その告知に際しては右刑訴法の規定に定める事項を理解させれば十分であって、被疑事実若しくはその罪名までを告知する必要はないと解するのが相当である。従って、右川田の措置をもって所論指摘の刑訴法の各規定に違反するということはできず、憲法違反をいう所論も、その前提を欠き失当である。また、被告人は、原審公判廷において詳細に所論に沿う供述をしているが、被告人の司法警察員調書が閲覧又は読み聞けをされたこと及び被告人がその内容を理解したうえ署名、指印したことは証拠上十分認められるところであり、被告人は供述していないことが記載されていると主張するが、その弁解には不自然かつ不合理な点があり到底措信し得ないといわなければならない。特に、被告人は、昭和五四年一一月一六日逮捕された際、業務上横領の点を一たん否認したが、関係資料を示されて弁解を求められるや、同日中に自白をし、爾来一貫してその供述を維持しているのであり、その他、川田証言によって認められる取調状況及び供述経過等を総合すると、被告人の司法警察員に対する各供述はいずれも任意になされたものと認めることができる。また、検察官調書の任意性についても同様であって、被告人は当初より一貫してその自白を維持しているのであるが、所論にかんがみ記録を精査してみても、格別その任意性を疑わしめる点は認められないのであって、これらの各供述調書につき、任意になされたものと認められるとした原判決の説示は正当であるといわなければならない。次に、所論(2)の点については、北澤は、右取調当時健康を害してはいたが、体調は良く、各二、三時間の取調べに十分耐え得る状態であったこと、日時等の記憶が欠けている点はあったが、よく記憶を喚起して質問に応答したこと、三通の供述調書はいずれも閲読し、又は読み聞けをされたうえ、北澤が自身で署名、押印したこと、右取調べに際しBが立会っていたが、同人が北澤の供述内容につき実質的に関与することは一切なかったこと、在宅の調べであって北澤の心身に対する圧迫等の悪影響は認められないこと等の事情が関係証拠上認められるのであり、更に記録を検討してみても、右各供述調書につき、刑訴法三二一条一項三号の特信状況の不存在を疑うべき点は認められず、従って、憲法違反をいう所論もその前提を欠くことに帰する。これと同趣旨に出た原判決の説示は正当である。論旨は、いずれも理由がない。

二  訴訟手続の法令違反、事実誤認及び法令適用の誤の主張(控訴趣意第一点及び第二点)について

所論は、要するに、(1)原判決は、原判示第一の業務上横領の点につき、種々根拠を挙げ、また、北澤及び被告人の捜査段階における各供述調書を信用できるものとし、これを証拠として、本件海外金地金取引は、現物輸入取引(原判決のいわゆる「現引き分」、以下、「現引き分」という。)及び先物取引(原判決のいわゆる「売戻し分」、以下、「売戻し分」という。)の双方を含め、総て取引の主体は東洋バルヴ株式会社(以下、「東洋バルヴ」という。)であり、差益金は東洋バルヴに帰属する旨認定判示し、被告人につき業務上横領罪の成立を認めているが、原判決の根拠とするところは総てその理由がなく、また、前記北澤及び被告人の捜査段階における各供述調書は客観的事実に矛盾する等全く信用できないものであるうえ、却って北澤が被告人に金取引をさせた背景、被告人が右取引をするに至った経緯、東洋バルヴがこれに関与するようになった時期、売戻し分によって初めて差益金が発生するに至った時期及びその金額等の諸事情からすると、本件売戻し分の取引の主体は被告人個人であり、右取引によって生じた差益金は被告人に帰属することは明白であるから、原判決の右認定は誤である。仮に、原判決が認定判示するとおり、本件差益金の帰属主体が東洋バルヴであったとしても、本件横領金のなかに昭和四八年四月以前の売戻し分が入っているものとすれば、その点について明白な区別をしないでその全部を東洋バルヴのものと認定した原判決には審理不尽の違法及び事実誤認がある。(2)更に、原判決は、本件金地金取引が売戻し分を含め総て東洋バルヴの事業であり、それによって生じた差益金は東洋バルヴに帰属するとの結論から、直ちに被告人が差益金の保管を任せられており、これを被告人が横領したものと認定判示しているが、仮に、原判決が認定判示するとおり、本件取引の主体が東洋バルヴであるとしても、被告人が本件差益金を会社のため保管していたと認めるべき根拠は何一つなく、むしろ、被告人は売戻しの当初から差益金を領得する意思で、会社の取引に乗じ、その地位を利用して利得をしたものであって、仮に犯罪として成立するならば背任罪として問擬されるべきであるのに、これを業務上横領罪と認定した原判決は事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤ったものである。以上のとおりであって、原判決は破棄を免れない、というのである。

しかしながら、原審記録を精査してみても、原審の訴訟手続に所論のような違法があるものとは認められず、また、原判決挙示の各証拠を総合すると、原判決の「被告人の経歴及び犯行に至る経緯」、「罪となるべき事実」中の第一の業務上横領の事実及び「差益金の帰属等についての判断」の各項における認定判断は、正当なものとしてこれを肯認することができ、多岐にわたる所論にかんがみ、原審記録中のその余の証拠及び当審における事実取調べの結果を検討してみても、右結論を左右するに足りず、原判決の認定判断に所論のような事実誤認ひいては法令適用の誤があるものとは認められない。

所論のうち、主要な点につき、当裁判所の判断を示せば、以下のとおりである。

(一)  本件金地金取引の主体及び差益金の帰属について

原判決挙示の各証拠によると、次の事実を認めることができる。すなわち、被告人は、東洋バルヴの元代表取締役会長であった前記北澤(昭和五五年五月一五日死亡)とC子との間の二男として出生し、昭和四二年大学卒業と同時に東洋バルヴに入社し、同四七年一月貿易部長兼資材部長となったものであるが、北澤は、金地金輸入の自由化が迫った同四七年秋ころから、金地金の買付け、輸入販売等を行うことを企図し、当時の丸紅株式会社(以下、「丸紅」という。)本社非鉄金属部長今泉昌長らに対し、その旨の打診をして協力方を申し入れる一方、被告人に指示して、ロンドン金市場の実情や金地金取引の方法などについて、右丸紅の担当課長らから教示を受けさせ、鋭意その準備を整えたのち、昭和四八年一月二日ころから、丸紅本社非鉄金属部白地金課、さらには同社ロンドン支店を通じ、ロンドン市場等において金地金の買付けを始め、同年四月一日の金地金輸入解禁の直前までに相当量の金地金を買い付けた。そして、その際の支払方法については、当初主として丸紅ロンドン支店を通じ、現地ディーラーの承諾を得て、買付け後三か月ないし六か月間その支払いを猶予して貰い、右期間経過後に買付け時における代金とその間の金利等を支払ったうえで現物を引き取り(いわゆる「現引き分」)、のちには、右期間内にディーラーに売り戻すことにより、現物を引き取らずに、金相場の上下によって生じた差益金又は差損金だけを授受して決済する(いわゆる「売戻し分」)方法をも取っていた。右買付けの当初において、北澤は、東洋バルヴとは別に金地金輸入の窓口として、役員及び株主を北澤一族で占める東帰興産株式会社(以下、「東帰興産」という。)を設立したうえ、被告人をその代表取締役にあてようと考え、その準備をすすめていたが、北澤とA子との間に長男として出生したB(当時常務取締役管理部長、のち昭和四九年七月三一日北澤の跡を襲って代表取締役社長に就任。)がこの話を聞きつけ、金地金取引がもうかるものなら、当時経営が苦しかった東洋バルヴの事業として行うべき旨を強く申し入れた結果、北澤も納得し、同年二月二二日の臨時株主総会で東洋バルヴの定款を変更して、その事業目的に「貴金属製品製造、地金販売」なる項目を追加し、同月二八日その旨の登記を完了したうえ、同年三月二〇日付で金属部を新設し、被告人に金属部長兼務を命じ、右事業並びにその附帯事業を担当させ、同年四月一日の解禁日以降、既に買い付けていた金地金を輸入し、国内で販売するなどした。ところが、同年五月中旬ころに至り、ロンドン市場における金地金の相場は、同年一月二日時点と比較し五割以上の高値を示し、更に高騰を続ける勢いであった一方、国内においては、金地金の売行きが鈍っていったところから、北澤は、ロンドン等で買い付けた金地金の一部を前記の方法により現地で売り戻して差益を稼ぐこととし、丸紅本社の了解のもとに、そのころから被告人をして引続き丸紅ロンドン支店の担当者に指示させるなどし、金地金の売戻しを行うようになった。しかし、右のように、東洋バルヴが右丸紅ロンドン支店を表面上の当事者とし、外国において秘かに先物取引き類似の行為をし差益金を取得などすることは外為法に違反する疑いがあったため、右売戻しについては、丸紅及び東洋バルヴにおいて正規の記帳を行わず、丸紅においては、買付け時に東洋バルヴが現引き、売戻しの区別をせず、前記三か月ないし六か月間の支払猶予を求めて一本で買付けの申込みをしてくるのに対し、そのロンドン支店において、大学ノートにその明細を記載し、のちに現引きの申し出があったものは、その時点でこれを正規の帳簿に移すなどの変則的な処理を行い、また、東洋バルヴにおいても、現引き分については正規の記帳をしたが、売戻し分については、被告人がこれをメモするにとどめ、東洋バルヴが売戻しを行っていることを秘匿するため、売戻しに関する事項には北澤と被告人のみが携わり、前記Bをはじめ他の取締役にもこのことを伏せておいた。ところで、ロンドン市場における金地金相場は、その後も高騰を続け、売戻しによる差益金の額も次第に多額なものとなっていったが、外為法上の制約がありこれを国内に持ち込むことができないため、やむなく、当初は丸紅ロンドン支店に依頼をして、同社の金地金取引先の一つであるシャープス・ピクスレイ社(以下、「SP社」という。)、次いで、チューリッヒのユニオンバンク・オブ・スイッツアランド(以下、「UBS」という。)に保管を委託し、昭和四九年二月下旬以降は、ロンドンのクラインウォルト・ベンソン・リミッテッド(以下、「KB」という。)に無記名の預金口座(ナンバー一九七二六)を開設してこれに差益金を入金させ、東洋バルヴのためそれぞれこれを保管させ、KBにおける預金利息を右売戻しに対する口銭として丸紅ロンドン支店に支払うこととした。昭和五一年四月ころに至り、丸紅側がKBにおける預金の引取り方を要請したため、被告人は、北澤と相談のうえ、同月中旬ロンドンに赴き、同支店の紹介により、バンク・オブ・アメリカ・ナショナル・トラスト・アンド・セービングス・アソシエーション(以下、「BOA」という。)ロンドン支店及びナショナル・ウェストミンスター・バンク・リミッテッド(以下、「NW」という。)にそれぞれ中野高男名義の定期預金口座を開設し、そのころBOAの預金口座に八〇万米ドル、NWの預金口座に八四万九九一三・七四米ドルをそれぞれ振り込み、引き続き東洋バルヴのため右金員を保管することとなった。この間、被告人は、右差益金を日本国内に持ち込むべく、右差益金を生じた昭和四八年五月下旬以降金地金を現引きする際、実際の単価より低額でディーラーに送り状(インボイス)を作成させ、その差額を右差益金から支払うといういわゆるアンダーインボイスなる手段により、数回にわたり差益金を実質上国内に持ち込むことに成功したが、関係機関の監視が厳しいためこの方法も永続きせず、中途で放棄してしまった。一方、東洋バルヴにおいては、昭和四九年ころから設備投資の増大により資金繰りが一層悪化し、昭和五一年一一月二四日東京地方裁判所に対し更生手続の開始申立を行い、事実上倒産をし、被告人は、同年一二月一六日右金属部長を退任し、同月一七日同会社の保全管理人に対し、同会社に在庫する金地金を引き渡したものの、前叙のとおり、差益金をロンドンに預金していることは被告人と北澤の二人しか知る者がなかったところから、前記BOA及びNWに東洋バルヴの預金があることを保全管理人に打ち明けず、引き続き被告人が同会社のためこれを預り保管中、同五二年三月三一日同会社に対する更生手続開始決定がなされた際、被告人は辞表届を提出し、同五三年二月二八日に取締役を退任して正式退社するに至ったが、その間、被告人は、原判示第一記載のとおり、前記預金にかかる差益金をそれぞれ自己の用途に充てるため払い出して横領した。以上の事実を認めることができる。右認定に反する被告人の原審及び当審における各供述は措信できない。

右の事実によれば、本件金地金取引の主体は、現引き分及び売戻し分の双方につき東洋バルヴであり、従って、売戻しによって生じた差益金は同会社の所有に属し、被告人は、金属部長等として、単に右売戻金を海外の前記各銀行に預金をし、これを保管する業務に従事していたにすぎないことが明らかであるといわなければならない。

所論は、先ず、原判決が「差益金の帰属等についての判断」の項の2において説示するそれぞれの根拠について、逐一これを論難するが、(1)いかに裏取引であるからといって関係書類が一切存しないことは経験則上理解できず、東洋バルヴのオーナーであった北澤もその全額を把握していないばかりか、社長のBはこれに関与さえしていなかったから、本件差益金が東洋バルヴの裏金であったとは到底認められない、と主張する点については、本件売戻しによる差益金に関する帳簿等が作成されなかった理由は前叙のとおりであり、右によれば、これが作成されなかったからといって経験則に違背するということはできず、また、北澤の司法警察員に対する各供述調書によると、同人は、本件取引についてその都度被告人に指示を与え、被告人から事前又は事後の報告を受け、現引き分はもとより、売戻し分についてもその全容を把握していたことが明らかであり、また、Bは、前叙のとおり被告人とはその母を異にする妾腹の子であり、昭和四九年七月三一日に東洋バルヴの社長に就任したとはいえ、同会社が会長である北澤のいわゆるワンマン会社であって、売戻しを他に秘匿する必要上右取引に関与することを許されなかったとしても、あながち不自然であるとはいえないから、本件差益金が企業の裏金的性質のものであったことも否定し難いとする原判決の説示は正当である。(2)次に、丸紅関係者の各証言は、不合理な点が多く矛盾していて信用できないと主張するが、原審証人今泉昌長の供述については、同人が東帰興産という名前を聞いたのは、東洋バルヴが定款変更をした時期ころ、すなわち昭和四八年二月下旬ころというのであり、その直後東洋バルヴが定款の変更を行い、東帰興産の構想が消え去ったことは前叙のとおりであるから、所論指摘の証言部分にもかかわらず、今泉が現引き分はもとより売戻し分についても、その実質、形式両面において、東洋バルヴと取引をした旨の供述を維持していることは疑いの余地がなく、また、同人は丸紅が個人と取引をすることはない旨断言しているのであって、同人の証言をもって、今泉は売戻し分が東洋バルヴを主体として始められたものでないことを当初から認識していたと考えざるをえない、などということはできない。また、原審証人浅野安三、同吉阪昭治、同綿引充(第一、二回)の各供述についても、これらが所論のように売戻し分については各人各様の漠然とした認識しかなかった、などとは到底いうことができず、同人らが一貫して本件金地金取引の主体は売戻し分を含め東洋バルヴであった旨供述していることは明らかである。更に、所論が右各証言と矛盾する事実として掲げる諸点については、Bの問合せに対し丸紅側が答えなかったのは、売戻しによる本件取引が外為法に違反する疑いがあり、丸紅としては正式にこれを公表することにためらいがあったと考えられること及びその際のBの今泉に対する発問が、回りくどく当を得ないものであったことによるものと認められるのであり、また、丸紅ロンドン支店において、被告人が本件差益金を引き出すことを黙認していたのは、綿引証言(第一回)によれば、管理を委されているだけの同支店員が口出してできることではなかったからであって、このことにより、丸紅が本件差益金を中野個人の所有と考えていた訳ではないことが明らかであるから、いずれも右各証言の信用性を左右するものとはいえない。(3)更に、北澤の司法警察員に対する各供述調書及び被告人の捜査段階における各供述はいずれも信用性がないと主張するが、これらの証拠がいずれも証拠能力を有することは前述のとおりであり、その信用性について、多岐にわたる所論にかんがみその指摘するところを十分精査して検討してみても、これらの供述が少なくとも判示認定に沿う限度で優に信用できるとした原判決の説示は正当である。なお、所論が右各供述調書の信用性につき論難する諸点のうち、主要な部分につき検討するに、先ず、北澤調書については、右供述が客観的事実又は他の証言等に反する点として、(イ)同人が昭和四八年一月二日から被告人に指示して先物買付けを始めさせているが、右は東洋バルヴなどとは全く関係がなかったこと、(ロ)同年二月末ころ同人が被告人に対し「二、三億円会社に入れてくれ。」という言い方をしているが、これは、そうしてくれれば、先物取引は被告人が個人として従前どおり続けてよい、という意味であること、(ハ)副社長の小口良一に対し「儲けさせてもらったよ。」などと会社には関係のないような言い方をしていること、(ニ)北澤の供述に反し、小口は、北澤及び被告人と三人で先物取引と現物取引を同時にやるなどという相談をしたとは供述していないこと、(ホ)北澤が被告人を連れて丸紅東京本社に行き、今泉らに対し、「中野高男を東洋バルヴの金地金取引の責任者にした。」などと述べていることなどの諸点を挙げているが、(イ)の点については、成程当時東洋バルヴにおいて定款変更などしていなかったことは明らかであるが、関係証拠によると、右買付け時における申込みは、金地金解禁時において、丸紅と東洋バルヴの間において成立する予定の個々の売買契約の予約ないしその準備行為と解しうるのであって、かつ、北澤の思いたつと直ぐ事を進めたがる性癖にも由来すると考えられるから、定款変更などがないことの故をもって東洋バルヴの取引ではないと断定することもできない。次に、(ロ)の点については、右のような言葉は、被告人が原審公判廷において始めて供述しているのであるが、それ自体信用性に乏しく、また、前叙のとおり、そのころ売戻しによる差益が現実に生じていなかったことを考えると、北澤が右のようなことを言ったとは認められない。(ハ)の点については、小口証言によると、同人は北澤から昭和四八年一月か二月ころ「金の取引きをしてもうかった、よかった。」と聞かされたというのであるから、その発言をとらえて直ちに東洋バルヴと関係のない取引ということはできない。(ニ)の点については北澤も一貫してそのように供述している訳ではないと認められ、必ずしも小口証言と相反するといえるか疑問がある。更に、(ホ)の点については、北澤調書によると右訪問の時期等が明らかでなく、他方、丸紅関係者の証言によっても右の事実を明確に否定しているとは考えられない。以上のほか所論が北澤調書の信用性を論難する点も総て失当である。次に、被告人の捜査段階における各供述調書については、所論は、被告人の司法警察員に対する昭和五四年一一月一六日付供述調書には、被告人が当然KBの名前を知っているように記載されているところ、これは事実に反すると主張するが、綿引証言(第一回)によれば、被告人がKBの名を知っていたことが十分窺われるから、なんら事実に反するものではなく、その他所論が右信用性につき論難するところも総て失当である。以上によれば、原判決が、「差益金の帰属等についての判断」の項において説示しているところは、総て正当としてこれを是認できるのであり、右によれば、本件金地金取引は現引き分及び売戻し分を含め、総てその主体は東洋バルヴであって、売戻しのみを被告人が個人として行ったという事実は認められないとし、従って、売戻しによって生じた差益金が総て東洋バルヴに帰属するとした原判決の認定判示は正当であるといわなければならない。

所論は、(4)更に、本件売戻しの主体が東洋バルヴではなく、被告人個人であったことを充分裏付けうる事実が存在するとし、これを前提として、原判決が「被告人の経歴及び犯行に至る経緯」の項において、北澤が、本件金地金取引きを「差し当って東洋バルヴにおいて行なうこととし」たと認定判示する点を全く事実に反するとして強く批難しているので、この点について検討するに、関係証拠によれば、昭和四九年一一月二一日ころ、北澤が今泉ら丸紅関係者に対し「金地金取引を高男にやらせる。」と言って、被告人個人にこれを行わせる旨伝えたという事実は、北澤の前記各司法警察員調書及び前記丸紅関係者特に今泉証言によってもこれを認めることができず、被告人の原審公判廷における所論に沿う供述は到底信用できない。もっとも、金地金買付けを開始した同四八年一月二日ころの時点において、東洋バルヴは金地金取引を行うことができる旨の定款の記載を欠き、また、そのころ東帰興産なる別会社を設立し、これに金地金取引をさせるという構想があったことからすると、右買付け時点における主体が誰であったのか若干明確を欠くようではあるが、前段説示のとおり、右買付けは売買契約そのものではなく、売買の予約ないしはその準備行為と考えられるので、北澤が金地金解禁に伴う相場の高騰を予見し、十分な準備を整えないまま、性急に東洋バルヴの名で買い付けたとしても不自然ではなく、事実丸紅関係者はひとしく東洋バルヴが買付けの主体である旨認識し、北澤及び被告人において特段右認識に影響を及ぼすような言動をした事実も認められないから、北澤の真意が奈辺にあったかはともかくとして、右当初の買付けの主体が東洋バルヴであるとした原判決の認定判示が誤りであるということはできない。(5)また、所論は、差益金の発生は外為法上違法なものであり、大企業である東洋バルヴにおいて行うことは考えられず、現に東洋バルヴの定款変更も「貴金属製品製造、地金販売」という事業目的の追加であり、現物輸入を前提としたものであったと主張するが、しかし、B証言(第一回)によると、東洋バルヴは、昭和四八年当初においても既に相当の赤字を出していたと認められるから、外為法が行政取締法規であって、その違反はいわゆる形式犯にとどまることを考えると、大企業である東洋バルヴの役員が会社のために違法なことを行うとは考えられないとする訳にはいかず、また、東洋バルヴの定款中目的の欄には、前記追加にかかる目的のほか第四項に「その他前各号に附帯する事業」と定めているのであって、同項の解釈上売戻しによる金地金の先物取引がこれに該当しないということもできない。また、一般的にこうした先物取引が損をする危険を常に孕んでいることは認められるものの、それだからといってこれを会社の事業目的となし得ないとはいえず、具体的には、本件における金解禁は正に千載一遇の好機といって差し支えない場合であり、現実に多大の利得をしたのであって、東洋バルヴがこれを事業の目的とすることも十分考えられる場合といわなければならない。

以上のとおりであって、所論は総て理由がなく、本件金地金取引の主体及び差益金の帰属について、原判決が認定説示するところは正当であるが、更に所論は、仮定的主張として前記のとおり、本件横領金のなかには昭和四八年四月分以前の分が入っている可能性があるというので、検討するに、関係証拠によれば、売戻しの時期は同年五月中旬ころと認められ、同年一月ないし三月の間に売り戻して利益を得た旨の、被告人の原審及び当審における各供述は一貫性を欠くものがあるうえ、右認定事実に照らし措信することができず、また、《証拠省略》の記載も、《証拠省略》と対比すれば、未だ右認定を左右するに足りないというべきであるから、右主張は前提を欠くものであり、仮に、右一月ないし三月までの間に売り戻して差益金を生じたとしても、それらは前叙の経過により明らかなとおり、総て東洋バルヴに帰属するものであることからすれば、いずれにしても右主張は失当である。原判決には、所論のような審理不尽、事実誤認及び法令適用の誤は認められない。

(二)  背任罪の成否について

しかしながら、《証拠省略》によると、前述のとおり、昭和四八年五月中旬ころから売戻しによる差益金が生ずるようになったが、これらは北澤及び被告人が丸紅ロンドン支店にその保管を依頼し、同支店において当初前記SPに、次いで昭和四九年一月末ころ前記UBSにそれぞれ保管を委託し、東洋バルヴとしては、右のような形態で、右差益金を保有していたこと、被告人は、東洋バルヴの金属部長として右差益金の数額及び保管方法を把握しており、その都度北澤に詳細を報告していたこと、特に、SPにおいて差益金を保管していた昭和四八年五月中旬以降、いわゆるアンダーインボイスの方法により金地金を現引きし、数回にわたり右差益金中からその差額を東洋バルヴのために支出しているのであり、同四九年二月下旬ころ差益金が前記KBへ移されるまで、被告人が差益金を自己の用途に使用した形跡は認められないこと、KBへ差益金を移したのは、丸紅ロンドン支店がその利息を売戻しの口銭に充てることを要求したためと認められるのであって、被告人側の要請によるものではなく、KBの預金口座が無記名であったことは、前叙のとおり、右取引等が外為法に抵触する疑いがあったことにほかならないこと、右KB預金から、東洋バルヴによる金地金売戻し等による差損金及び丸紅に対する前記口銭の支払いが行われたほか、昭和四九年一〇月に一万ドル、同五〇年七月及び一一月に合計一万一六〇〇ドル余及び同五一年三月二五日に原判示第一の別紙一覧表(一)番号1の二〇万ドル(邦貨換算額五九八九万円)が被告人自身の用に供するため引き出されたが、前記東洋バルヴのための出金に比較し、その回数、金額とも少なかったこと、そして、前叙のとおり、昭和五一年四月ころ、右KBの預金はBOAとNWの被告人名義の各定期預金口座に移されたが、これは当時国内においてロッキード事件が表面化したため、その渦中にあった丸紅側が急拠引取り方を要請したことによるものであって、被告人がほしいままにこれを保管替えしたものではなく、また、その間の経緯は、被告人において北澤に報告しその了解を得ているのであって、被告人名義としたことは前叙の理由によるものであること、被告人は、その後右原判示別紙一覧表(一)番号2ないし7のとおり右各預金を自己の用に供するため引き出して費消したが、これは前記東洋バルヴの倒産を契機とするものであって、それまでは格別の非違はなく推移していたこと、以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》。

以上の事実によれば、被告人は終始本件売戻し金を、丸紅ロンドン支店を介し、又は自ら東洋バルヴのために保管していたものといわなければならない。

所論は、BOAやNWへ被告人名義で預金した際、北澤と被告人のみが相談をし、社長のBに相談をしなかったとか、被告人が東洋バルヴの倒産前に右金員を自己のために費消したとか主張するが、いずれも右認定を左右するものとは考えられないから、本件差益金につき被告人が東洋バルヴのためにこれを保管している旨認定判示したうえ、被告人につき業務上横領罪の成立を認めた原判決は正当であって、所論にかんがみ更に記録及び証拠物を精査して検討してみても、原判決には、所論のような事実誤認ひいて法令適用の誤を認めることができない。

以上のとおり所論は総て失当であり、論旨はいずれも理由がない。

三  法令適用の誤の主張(控訴趣意第五点)について

所論は、要するに、原判示第一の業務上横領の各事実のうち、別紙一覧表(一)の番号1の分を除く番号2ないし7の事実は包括一罪の関係にあるというべきであるのに、これらを併合罪として処理した原判決には法令適用の誤があり、右は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかしながら、仮に所論の各事実が包括一罪の関係にあるとしても、その余の罪との関係で併合罪加重の必要がある場合であり、その処断刑期の範囲に変更がある訳ではないから、これが判決に影響を及ぼすものとする所論はその点で既に失当であるのみならず、関係証拠によれば、右横領の動機には共通したものがあると認められるが、各犯行の日時の間隔、犯行の態様、特に、預金口座の種類、預金払出方法が別異で行為の接続性が認められず、ひいてその犯意の継続性を認めることも困難といわなければならないから、これらを併合罪とした原判決には、なんら所論のような法令適用の誤は認められない。論旨は理由がない。

四  量刑不当の主張(控訴趣意第六点)について

所論は、要するに、被告人を懲役五年に処した原判決の量刑は、重きに過ぎて不当であり、これを破棄して刑期を軽減したうえ、刑の執行を猶予されたい、というのである。

そこで、原審記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して、所論の当否を検討するに、本件の事実関係は原判示のとおりであって、東洋バルヴの金属部長であった被告人が、(1)同会社の金地金売戻しにより海外において発生した差益金を原判示第一の各銀行に預金し、これを同会社のため業務上預り保管中、同別紙一覧表(一)記載のとおり、昭和五一年三月二五日ころから、同会社が倒産し被告人が正式に退社する以前の同五二年一二月一九日ころまでの間に、前後七回にわたり、同表預金払出方法欄記載の方法によりそれぞれこれを払い出し、合計一九六万九六一六・〇四米ドル(邦貨換算五億二七〇九万四六二〇円)を横領し(原判示第一の事実)、(2)栗原元教と共謀のうえ、法定の除外事由がないのに、原判示第二、一、1、2、同二記載のとおり、右横領にかかる金員を昭和五二年二月一一日ころから同五三年一月一六日ころまでの間、前後一五回にわたり、同記載の各銀行のケン・キタムラ名義及びモトノリ・クリハラ名義の各普通預金口座に、合計一四七万一八九五・七五米ドルを預入し、前後一一回にわたり、右同口座から合計一四三万三八四九・七一米ドルを払い出し、もって、それぞれ居住者と非居住者間の外貨債権の発生及び消滅の当事者となった(同第二の一、1、2、及び二の各事実)というのであるところ、その情状については、原判決がその「量刑の事情」の項において、その有利、不利な情状につき適切かつ詳細に判示するとおりであって、特に、その横領金額が巨額にのぼっていること、東洋バルヴが倒産し多数の従業員、債権者らが迷惑をしているのに、更に本件横領を継続したことは、同会社経営の中枢を占めた北澤一族の一員として、著しい背信行為というべきであって、当審においても同会社への被害弁償につきみるべきものがなく、示談が成立していないことなどをも合わせ考えると、その犯情はよくなく、被告人の刑責はかなり重いといわざるをえない。

してみると、東洋バルヴ倒産により被告人の身にふりかかった様々の困難が本件業務上横領の動機の一部を形成し、それらの点につき被告人の亡父北澤にも責任の一半があると認められること、本件差益金の国内持込みができないため、現実には債権者らの回収が困難であったこと、被告人にはこれまで前科、前歴等が一切ないこと、その他家庭の状況など、所論が訴え、また、本件記録上認めることのできる被告人に有利な情状を十分に斟酌してみても被告人を懲役五年に処した原判決の量刑はまことにやむを得ないところであって、刑期を軽減すべき理由も、また刑の執行を猶予するのを相当とする事由も認められない。なお、所論は、原判決がその「量刑の事情」の項において、被告人が「差益金が東洋バルヴの債権者などに回収されることを恐れ、将来の自己の経営資金や生活費などに充てるため(中略)横領した」と説示している点は事実を誤認していると批難するが、記録を精査してみても右説示が誤であるとは認められない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺澤榮 裁判官 荒木勝己 仙波厚)

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